「マスカレード・ホテル」に学ぶサービス業の極意
高級ホテルはとにかく素晴らしい
去年の夏、私は所用で神戸のとある高級ホテルに宿泊した。
私は、過去に野球のオタクをやっていて、遠征でしょっちゅうホテルに泊まるが、寝られればなんでも良く、ビジネスホテル中心で、高級ホテルとはさほど縁がなかった。
しかし、なんとなくじゃらんのポイントが貯まったから、いつもよりお高いホテルに泊まっちゃおうかなーと、夜景がキレイな事に定評のあるホテルに宿泊することに決めた。
ロビーからもう、そこには富裕層の世界が広がっており、ミジンコみたいな存在の私の荷物も運んでくれて、ドアも開いてくれて、そこから見える夜景も素晴らしくて、朝食も運んでくれて、美味しくて食べすぎ、とにかく自分が尊い存在なんだ!って認められるくらい自己肯定感が上がる。
それから、関西に遊びに行く時は高級ホテルを使うようにしている。
自分のに自信がもてなかったり、心ない一言で傷付いた人には、高級ホテルに泊まる事を強くオススメしたい。
マスカレード・ホテル あらすじ
一流ホテル・コルテシア東京の優秀なフロントクラーク山岸尚美は、都内で起きた連続殺人事件の捜査の為にホテルマンに変装して潜入する捜査官・新田浩介の教育係を命じられる。
現場に残された暗号に、次の犯行現場がコルテシア東京だと判明した為だ。
お客様を快適な気分にさせる事にやりがいを感じている尚美と、人を疑う事が仕事の刑事新田は、お互いに、相容れない世界の人間だと理解しつつも「プロ」だと認め合い信頼関係を築いていく。
しかし、次から次へと怪しい客が現れて翻弄される中、二人は真相を掴み犯人を見つける事ができるのか?
・
・
・
・
(以下ネタバレ)
という訳で、2日かけて読了したマスカレード・ホテルだが…
表紙や宝塚の舞台化で、都内のホテルでも仮面舞踏会でも行われるのかな?と疑問に思ったんだけど、そうじゃないんだね…(題名の理由は後で明記します)
サービス業に従事する方必読の書
ヒロイン、山岸尚美のホテルマンとしてのプロ意識がとにかく素晴らしい。
最近はお客様は神様じゃない、という説の方が優位に立っており、それには同意できるけれどTwitterなどで「こういう客は来ないでください」と「店の禁止事項」をご丁寧に飲食店のメニューなどに、貼り紙をしている写真を目にする事がある。外国人対策というのもあるだろうが、明らかに上から目線でお客様を選り好みしているようで、あまりいい気分はしない。
しかし、コルテシア東京のフロントクラーク、山岸尚美はどうだろうか。
序盤、禁煙室にワザと煙草の煙をくゆらせ、「禁煙室なのにタバコの匂いがする!」と怒鳴り込んで無料の部屋のアップグレードを狙った「プロクレーマー」がいた。
他の従業員や尚美自信が「ワザと」だと見抜いているにもかかわらず、彼女はクレーマーを黙らす為に「スイートルーム」をあてがったのだ。
スイートはさすがにやりすぎ。他の部屋でも満足したと思う、と口を尖らせる同僚に対して尚美は「納得しなかったら?なんだかんだと難癖をつけられて結局いくつも部屋を見せて回る事になったら、そっちの方が面倒だと思わない?」と一蹴。
これで、クレーマーに罪の意識を植え付けることもできるし、コルテシア東京で同じ手は使わないだろう。ホテル側は今回、痛い思いはするが、これでwin-winだ。
読者に尚美の優秀さを理解してもらう、素晴らしいエピソードである。
「店の禁止事項」を貼り紙する、上から目線の店主にはとても思いつかないだろうと思う。
だからこそ一流なのだ。
ホテルに来る人々は、お客様という仮面を被っている
マスカレード・ホテルの題名の由来は尚美が昔先輩に教えられた「ホテルに来る人々は、お客様という仮面を被っている、そのことを絶対に忘れてはならない」という台詞が全てだと思う。
「ホテルマンはお客様の素顔を想像しつつも、その仮面を尊重しなければなりません。決して剥がそうとしてはなりません。ある意味お客様は仮面舞踏会を楽しむためにホテルに来ておられるのですから」
事件の緊張から、遂に我を忘れてミスをしてしまった尚美が新田に言った一言。
ベテランなら、ミスをしてしまった時に、自分を取り繕ったり、言い訳したりするものなのに、すぐに反省。次の教訓に生かすのだ。
日本ミステリー会、最高のヒロインではないだろうか?私は感動した🥺
いい小説は明日への活力になる
私がこのブログを書いている時間軸では、日曜の午後5時で、そろそろ月曜の明日のことを思うと憂鬱になる時間である…
でも、ひたむきに仕事に立ち向かっている山岸尚美のことを考えると、とても仕事行きたくない😫ダルい😱とは言えないのだ。
やっぱり、仕事で輝いている女性は魅力的だ。と気づかせてくれたマスカレードホテル。
私にとってはじめての東野圭吾だったけれど、この本を読んでいる時間はとても良い時間だった。
良い小説は明日への活力になる。この本に出会わせてくれた、宝塚歌劇団、瀬戸かずやさんにも感謝です。
(ダルいけど)お仕事がんばってやるぜ!という気になりました。またあしたから、頑張りましょう!
「バーニングオーシャン」に学ぶ、現場での責任の取り方
2010年のメキシコ湾原油流出事故
ついつい、私たち日本人は海の向こうの出来事を軽視しがちである。
10年前の原油流出事故だけれど、被害の大きさに比例した報道は日本ではされていなかった気がするし、その間に東日本大震災もあり、そういえばそういう事もあったな、としか思い出せないでいる。
石油はまるでモンスター
(※この先ネタバレ)
・
・
・
・
トランスウォーター社の技術者マイク・ウィリアムズは妻と娘との三人家族。
もう1人、バイク野郎の恋人がいるラテン系の美女アンドレア。
仕事でメキシコ湾にある石油掘削施設ディープウォーターホライズンに3週間滞在するため、愛する家族や恋人とはしばしお別れ。
ディープウォーターに到着すると、やってあるはずの安全テストが行われていない。しかも、現場主任のマイクの上司ジミーが苦言を呈する中、工期の遅れを取り戻すためにBP社の管理職ヴィドリンが、安全テストを省略して掘削作業を強行。
そのため、施設に掘削泥水が噴き出し、大量の天然ガスが漏れ施設が爆発。
原油が海上に漏れたため施設の中も、海上も「火の海」の中、マイクはこれ以上の大惨事を防ぐため、ディープウォーターの現場の仲間と共に決死の覚悟で行動するものの、そこで見たものは、同僚の死、生き残ろうと必死に救命ボートの奪い合いをするBP社の社員達。
最後のボートを見送ってしまったマイクとアンドレアは脱出案を練る…
・
・
・
・
この映画自体、大作か?と聞かれればそうでもないし、もっとハラハラドキドキするパニック映画なんて星の数ほどあると思う。
だけど、今の私には少なくとも「学び」はあった。なので、この映画で何を「学んだ」か、実生活や仕事の参考になるように、記しておきたいと思う
「実話」私の職場でおきた○○○漏らし事件
バーニングオーシャンのメキシコ湾原油流出事故に比べると、あまりにもスケールが小さすぎるし、お前笑わせにきてるだろうと思われるかもしれないが、そうではない。私は真剣である。
私は、医薬品メーカーの工場で製品管理の仕事をしている。
当然、お客様の身体に入るお薬を製造しているのだから、製造現場の衛生管理は、清掃をこまめにし、小さなミスや変化でも報告をするように、社員教育を徹底している。
しかし、私が働いているのとは別の現場で、その事件は起こってしまった。
清潔なクリーンルームでお薬は製造されている。
そのため、そこで製造を担当する社員は無塵着とかクリーンスーツと呼ばれる物を着ているが、これを着脱するには、慣れた者でも3分、慣れない新入社員では5分以上はかかる。
しかも、エアーシャワーや手袋の着脱などこれが結構面倒で、かなり時間がかかってしまう。
何が言いたいかというと、作業中にクリーンルーム内でもよおすと、現場からクリーンスーツの着脱用の更衣室に辿り着くだけで5〜8分、トイレに向かうだけで1、2分はかかり、その間ひたすら我慢しなければならないのだ。
事件の主人公くんは腹部に鬼気迫るモノを感じ、トイレへ向かおうとクリーンスーツをあわてて脱ごうとしたそうだが、間に合わなかった…
その現場はインフルエンザが流行していて人手不足。ノルマを達成する為、彼はなかなか上司にトイレに行きたいと報告できず、ギリギリになるまで我慢していたとか…
しかも、漏らしたなんて上司に報告できるはずもなく、トイレから戻った後、彼は自分のノルマを達成する為、漏らしたクリーンスーツをそのまま着用して、何食わぬ顔で医薬品を作る作業を続行したのである。
現場のリーダーは、溶剤と勘違いして無視しようとした
ほんとかよ?!ってツッコミたくなる話だけど、マジなんです…。白いクリーンスーツに黄色いシミが付いていれば気付きそうなモノだけど、現場のリーダーは溶剤かなんかだと思ったのだとか…(言い訳おつ)
もちろん、医薬品を作っているので、人糞が混入した疑いのある製品を市場に流すわけにはいかない。結果彼が触った、かなりの数の製品が不良品となってしまった…。
ここで、やっぱりバーニングオーシャンで学んだ教訓が生きてくる。
ダメなものはダメ。ちゃんと言える勇気を持とう。
「バーニングオーシャン」本編では、あたかもBP社の偉いさんヴィドリンが安全テストを軽視したために事故がおきたかのように描かれているが、結局掘削作業を強行してしまったジミーも相当の責任を負わなければいけない立場なんじゃないかと思う。(映画公開時まではトランスウォーター社で働いていたそうだけど)
ダメだって、気づいてたのに、止めなかった。
現場の不安な顔だってわかってたのに、止めなかった。
結局のところ、管理職って部下の顔色を見てあげて、快適に安心して仕事ができるようにしてあげないとダメだと思うのよね。
ジミーは現場の部下みんなに慕われて、サプライズパーティーだって開いてもらっていたけど、ここ1番大事なところで大事なみんなを危険に晒してしまった。雇い主のBP社のいいなりになってしまった。
私の会社の○○○漏らし事件だって、結局はスケールの大小で同じこと。
その話を聞いた時にみんなゲラゲラ「マジかよー」とか言って笑っていたが、本当は笑えるような話じゃないんだよね。
彼の現場リーダーは「最悪」の時を想定した教育を、彼にしていなかった。
それにほんとに人糞が混入してたら、ウチの会社の幹部も会見で頭を下げなければいけなくなる。
そんなところは見たくないよ。
ノルマなんかより、大切なのは部下の健康を守ることで、我慢してたら表情でなんとなくわかるはず。
具合悪かったら、学校じゃないんだし気軽にトイレ行きなよー!!っていう雰囲気を作らなきゃダメだと思う。とくにウチみたいな衛生管理をしっかりした所はね。
これから先、仕事をしていく上での責任の取り方を充分学ばさせて頂きました。いい映画体験でした。感謝です。
中野京子「名画の謎 旧約・新約聖書篇」感想&なんで宗教画ってたくさんあるの?
「怖い絵」で有名な中野京子先生の名画の謎シリーズの文庫版です。
私が読んできた中野京子先生の著作(怖い絵シリーズ、名画で読み解くシリーズ)とは違い、今回の中野先生は、なんだか個人ブロガーのような文体で、まるで80年代のアニメにツッコミを入れるかの如く、聖書の矛盾点にツッコミを入れていきます。
これがかなり痛快。
中野先生の、なんでお前らこんな宗教信じてんのみたいな気持ちがひしひしと伝わってきます。
相当「聖書」というかキリスト教全般にウンザリしてる感あるね。
でもでも「聖書」は世界最大のベストセラーでもありますし、私たち異教徒日本人の視点からでも、教養が増えて役立つ話がたくさんあります。そりゃあ、世界一の宗教ですからね、いい宗教には違いないんですよ…(たぶんね)
この本では、美しい宗教画とその聖書の場面と、その作者である画家たちのドラマを、中野京子先生のキツいツッコミとともに楽しめる名著です。しかも名画はフルカラー!
中身は読んだ方が絶対楽しめるのですが、なんだか宗教画って聞くとなんだかモヤっとしませんか?
キリスト教って、偶像崇拝禁止なんじゃねえの?
知っての通り、イスラム教の預言者ムハンマドは偶像崇拝禁止の教義の為に、絵画や彫刻などにすることを禁止しています。
子供の頃にムハンマドの顔が描かれていない学習漫画を見て結構な衝撃を受けましたし(理由はよくわかんないけどトラウマ)。
ユダヤ教も偶像崇拝禁止は厳格に守っております。確かにユダヤ人の宗教画家とかあまり聞いたことがないですよね。
というのもユダヤ教の聖典は、旧約聖書(旧約という概念はない。新約=イエスによる新しい契約だから)とタルムード(口伝律法)なんだけれども、あの有名なモーセの十戒には
あなたはいかなる像も造ってはならない。上は天にあり、下は地にあり、また地の下の水の中にある、いかなるものの形も造ってはならない。あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない。— 新共同訳聖書 出エジプト記20:4-5、「モーセの十戒」
と、あります。
モーセはエジプトで弾圧されていたイスラエルの民(ユダヤ人)をカナンへ導いた預言者です。
旅の道中、シナイ山へ寄ったユダヤ人御一行は、十戒を授かりに山頂に行ったモーセがなかなか戻って来ないので心配になり、金の指輪を溶かして作った黄金の子牛を神と称えて崇め奉ります。
これを見た神は大激怒。そりゃ、自分を差し置いて手作りの黄金の子牛なんて拝んでたら怒りますよね…モーセは神をなんとかなだめますが、モーセ自身も怒りに身を任せてせっかく神から授かった十戒の石版を破壊(短気かよ)黄金の子牛を燃やし、粉砕して水と混ぜたものを(けっこう手間かかるな)ユダヤの民に飲ませたそうな(そもそも、アンタの帰りが遅いから、みんな心配したというのに…)
その後モーセはレビ族に頼んで、偶像崇拝した民およそ3千人を殺害。
こんなん、普通に鬼畜の所業だと思うのですが、モーセはユダヤ教では当然、キリスト教、イスラム教でも最重要の預言者で聖人なんですよね…。
旧約聖書では偶像崇拝がどれだけ厳格に禁止されている訳をお分かり頂けたでしょうか。
偶像崇拝禁止なのに宗教画がたくさんあるのはなぜなの?
上記のように、旧約聖書では偶像崇拝を禁止してるのにもかかわらず、なぜ宗教画はたくさん存在しているのでしょう?
答えは割と簡単で中世のヨーロッパの民衆はキリスト教を信じていなかったからです
暗黒の中世(西ローマ帝国滅亡の500年頃からルネサンス開始の1300年頃まで)の時代、一般民衆は飢え、寒さ、伝染病などに苦められていました。RPGのゲームのマップに例えてみると分かりやすいのですが、村々は森の間に孤立しています。
RPGの森の中って、ゴブリンみたいな怪物とエンカウントしますよね?
ゴブリンは流石に現実にはいないにしろ、狼のような人間を捉える捕食獣など、危険がつきものです。ヨーロッパの森は、日本のような針葉樹ではなく、葉っぱが広くて大きい隙間のない広葉樹です。
迷いやすくて真っ暗な空。
村と村を行き来するだけでも死の危険があるわけです。
生まれてきた子供が、大人になる可能性は低く、平均寿命はとっても短い。
いつでもどこでも、死の恐怖とは隣り合わせです。
そんな中、シトー修道会という、ベネディクト修道会から派生した修道士の集団が現れます。
彼らの教義は「祈りと労働」でありました。
シトー会の修道士たちは、民衆の恐怖の源である森をバッサバッサ切って、畑を耕しました。大開墾時代の幕開けです。
しかし、当時の人たちは森信仰で、森を神々しい存在だと思っています。
日本でも、山岳信仰など、自然と厳しい存在を崇める習慣がありますよね。
だから、みんな森を拓くのは嫌がります。ですが、飢えて死んじゃうのはもっと嫌です。
森を拓くと畑ができたので、ご飯が食べられます。子供も大人になり、大人達は子供を作り、だんだんと人口が増えてきます…だんだん街ができます。都ができます。
そうすると、キリストをありがたいと思う人が増えていくのは自然な流れですよね。
しかし、当時の人たちがありがたがったのは、キリストでなくマリア様だったのです。
マリア信仰?なんでやねん!!
お貴族様ですら、文字が読めない人が普通にいた時代。識字率はとっても低いです。
聖書は超超ちょーう貴重品で、しかもラテン語で書かれていて、日曜礼拝の説教も当然ラテン語です(布教する気あんのか…)。
なので、民衆に布教する為、教会の壁画などに、聖書の物語をわかりやすーく描いたもの。
コレが宗教画になります。
しかし、イエス様は民衆ウケがあまり良くなく、替わりにマリア様がめちゃくちゃウケまし
だって、絵で見たらキレイな女の方ですし、処女懐胎してますからね…
上のフレイヤみたいな女神様の替わりにされてしまったのです。
ノートルダム大聖堂などは「我らの貴婦人」という意味でマリア様を指しています。
マリア様は聖人のひとりで、カトリックでは、神の母であり、すべての人の母とされているのですけど、崇拝するのは少し的が外れています。プロテスタントではそこまで崇拝してませんし。
コレは例え話ですが、私たち日本人はすごいなぁと思う人をすぐ神よばわりしますよね。
それは、私たちの一人一人の中に神がいるっていう神道的な考え方でもあります。
しかし、歌手でもアイドルでもスポーツ選手でも本人が努力していることに胸をうたれてファンになるわけです。あなたにアイドルなどの推しがいたとして、推しを産んだお母さんも尊い存在には違いないけれど、お母さんまで推しにするのはちょっと違うと思います…。
マリア様も同じです。受胎告知をうけて、処女懐胎して、神の子イエスを産んだのには違いないですが、奇跡を起こしたのはイエス本人です。
ヨーロッパで形を変えたキリスト教
民衆にキリスト教を教えるのは、上記の通り結構な苦労があったわけです。
当初教会は、日常的に神々の力を感じていたことを批判して、一神教に落とし込みをしようとしましたが、急に考え方を変えるのは難しいので、従来の多神教を受け入れようともしました。
守護聖人や守護天使、聖ヴァレンタインや聖ニコラウス(サンタクロース)など、従来の民俗信仰を基にした聖人たちがキリスト教には存在します。
昔のローマの神々の役割を、聖人や天使に呼び替えたわけですね。
そうしないと、なかなかキリスト教が根付かなかったからです。
中世ヨーロッパの人になった気持ちで「名画の謎 旧約・新約聖書篇」を読んでみよう
私たち日本人はあまり聖書の知識がありません…正直、宗教というもの自体に疑問を感じていますしね。
ですが、中世のヨーロッパの人々が感じたように宗教画を美しいと思える感性はあります。
中野京子先生の詳しく楽しい解説と共に、中世の人たちになったつもりで、この本で宗教画を楽しんでみたらいかがでしょうか。
きっと新しい発見がありますよ。
地獄の黙示録@ベトナム戦争時代背景など自分用メモ
なんでベトナムでアメリカが戦争してんの?
歴史に詳しくない方でも、ベトナム戦争の時に撒かれた枯葉剤(なんでアメリカがそんなモノ撒きやがったのかは後述)の影響で、ベトちゃんドクちゃんのような結合双生児が産まれてしまい、日本の支援で分離のための手術を行ったという話を聞いたことがあるかと思います。
ベトナムの人達、何にもしてなさそうなのに、アメリカに空爆されて、 枯葉剤とか撒かれて、環境や田畑まで荒らされて可哀想
日本人カメラマンの沢田教一さんが撮影してピュリッツァー賞を受賞した「安全への逃避」という作品は有名です。米軍の爆撃から水の中、必死に逃げている親子の写真ですが、ベトナム戦争の悲惨さを物語っています
そもそも、なんで60年代にアメリカがベトナムで戦争やってんの?ってことは、私は中途半端にしか理解していなくて、クラスター爆弾、ナパーム弾、ケネディ暗殺、空爆とか知ってるワードはチラホラと出てはくるのですけど、今回この映画を見たことをきっかけにベトナム戦争ってなんなのか、まとめたいと思います
フランスの領土だったベトナム
19世期後半、ベトナムをふくむインドシナ半島はフランスの植民地でした。あたりまえ体操ですがフランスは「おまえのものはおれのもの」というジャイアニズムを発揮し、ベトナムを搾取しまくります(主に稲作、炭鉱など)
そうなると、やっぱり 独立運動が盛んになっていきますよね。
実際、日本の明治政府に独立の支援を申し立てをした人が出てきますが、この頃の日本の国力ではフランスみたいな先進国を敵に回せない訳ですから、強めにお断りしてしまいました。
ホー・チ・ミンさん、共産主義にかぶれる
そんなフランスからの搾取に苛立っていた青年、ホー・チ・ミン君は世界を見てみたいなぁと思いつき、見習いコックとしてフランスの船に乗ります。
すったもんだありますが、アフリカ、アメリカイギリスなど世界を周遊して、またフランスにとんぼ返り。
コックとして船に乗ったんだから、各国の料理の研究でもしていればよかったのに、ロシア革命に衝撃を受けたホー君は、しっかり パリで共産主義にかぶれてしまいました。
バルセロナ展に行ってきた@静岡市美術館
(静岡市美術館での展示は2020年1月19日(日)まで!!)
私は、さほどスペインの歴史にも詳しい訳ではなく、バルセロナ=バルサFCとか、昔オリンピックやってたとか、なんだかカタルーニャ地方に属するらしいとか、サグラダファミリアだの、ハプスブルグだのそのぐらいの知識しかなかったんですよね(アイルランドや旧ユーゴ諸国、なんかは大好きなんですけど!!)
美術展を観る前に、それとなく歴史を調べて行ったほうがより楽しめるのだけど、あまりスペインに関心の無かった私は、西洋美術が観れるのなら別にいいや、と前知識は殆どないまま、静岡市美術館の登りエスカレーターに足を置いたのでした。
バルセロナ=誇り高き女神
カタルーニャ人の宗教観と伝統を取り入れつつ、19世紀、20世期と新しく芸術の街として発展していくバルセロナはまるで、誇りと自信に満ち溢れている女神のよう。
まさに、その女神(?)を表しているのでしょうか。入口近くに展示してあったアウゼビ・アルナウ作の《バルセロナ》と題した彫刻。
節目がちで厳かな表情の女性のブロンズ像なんだけれども、バルセロナのセルフイメージ(要するにに擬人化)の投影だそうです。
この美しい胸像に心を奪われてしまった私はすっかりバルセロナの虜となってしまい、ワクワクしながら展示を観て回りました。
1888年のバルセロナ万博
展示されているものは、絵画に始まり、リトグラフ、建築(ガウディが有名)、家具、貴金属、装飾品など。
雑多で見るものの目を楽しませてくれる展示品の数々。
特に1888年のバルセロナ万博に関する資料は興味深く、日本も参加したという資料も展示されていて、少し嬉しくなります(参加国は8カ国)
その資料には、日本人形や瀬戸物、ツボ、ちょうちんなどの写真が写っており、カタルーニャにおける日本美術の影響を伺い知ることが出来ました。
個人的には、他の国の展示も知りたかったのだけど、万博のポスターや公式パンフレット(分厚い!)やアルバムは眺めているだけで胸が踊ります。
労働者の平均寿命短すぎ問題
19世紀は産業革命があったわけで、城塞都市バルセロナにも沢山の工場が建てられます。
そうなると工場主の上流・中流階級の富裕層と低賃金労働者の差は激しくなっていきます。
バルセロナ展の目玉は、フランセスク・マスリエラ《1882年の冬》という油彩ですが、一見すると上目使いの可愛らしい少女が毛皮のマフに手を入れて寒さに耐えているところが描かれています。この少女は淡い水色のフランス人形みたいなベルベット(に見える)のコートを着ているのですが、いかにもお金持ちのお嬢様。
その隣に展示されているジョアン・プラネッリャ《職工の娘》には、ボロボロの服を着て自動織機を操る少女が描かれています…。
その、蒸気機関で動いているであろう自動織機はいかにも熱そうで、小さい女の子が危険な仕事をしている事に胸が痛みます。
彼女の背後には暗くて殆ど見えませんが、ラインの責任者でしょうか、壮年の男性の姿が不気味に浮き上がっています。
この時代では、6歳から働き始める事が普通だったそうで、不衛生で環境は劣悪。
栄養状態が悪く、1837〜47の十年間の平均寿命は富裕層ですら36歳!!なんと、労働者は23歳!!現代の働き盛りの年代にも達する事なく、死んでいくという、悲しい歴史。
(参考資料は図録)
描かれた2人の少女は10歳前後の子供なんですよね。
《1882年の冬》の少女は富裕層の子供ながらも、バブルが弾けてその親にとって、厳しい時代の幕開けになりそうな予感を表した絵。
この2つの絵画では、同世代の彼女たちが、富裕層と労働者とで全く異なる生活をしていたこと、両階級間の決して埋まる事がない深い溝を、この対極の絵画から肌で感じる事ができます。
バルセロナの都市文化と芸術活動にときめく
展示は前半、バルセロナの工業都市としての鬱々とした場面を切り取ったものが多かったのですが、中盤、後半は富裕層向けのアクセサリーや家具、ミュシャを思わせるリトグラフやポスターなどが多くなっていきます。
ラモン・カザス《アニス・デル・モノ》
このリトグラフはいかにも「夜の女」が、インドの民族衣装のような服を着て、ウォッカのボトルをかかえたお猿さんと手を取り合い、あやしげな視線をこちらに向けています。
他にもピカソも出入りしていたカフェ「四匹の猫」での芸術家達の交流にちなんだ展示もあり、とてもエキゾチックな雰囲気に浸れます。
バルセロナの情熱的な雰囲気も、産業革命の寂しげな雰囲気も、カトリックの宗教的な展示もあり、お正月早々厳かな気分にもなれ、大満足でした。
お正月休みもそろそろ終わりですが、会期もあと少しなので、足をむけてみてはいかがでしょうか?
バルセロナ、スペインにちなんだグッズもたくさん揃っていて、とてもオススメですよ。