地獄の黙示録@ベトナム戦争時代背景など自分用メモ
なんでベトナムでアメリカが戦争してんの?
歴史に詳しくない方でも、ベトナム戦争の時に撒かれた枯葉剤(なんでアメリカがそんなモノ撒きやがったのかは後述)の影響で、ベトちゃんドクちゃんのような結合双生児が産まれてしまい、日本の支援で分離のための手術を行ったという話を聞いたことがあるかと思います。
ベトナムの人達、何にもしてなさそうなのに、アメリカに空爆されて、 枯葉剤とか撒かれて、環境や田畑まで荒らされて可哀想
日本人カメラマンの沢田教一さんが撮影してピュリッツァー賞を受賞した「安全への逃避」という作品は有名です。米軍の爆撃から水の中、必死に逃げている親子の写真ですが、ベトナム戦争の悲惨さを物語っています
そもそも、なんで60年代にアメリカがベトナムで戦争やってんの?ってことは、私は中途半端にしか理解していなくて、クラスター爆弾、ナパーム弾、ケネディ暗殺、空爆とか知ってるワードはチラホラと出てはくるのですけど、今回この映画を見たことをきっかけにベトナム戦争ってなんなのか、まとめたいと思います
フランスの領土だったベトナム
19世期後半、ベトナムをふくむインドシナ半島はフランスの植民地でした。あたりまえ体操ですがフランスは「おまえのものはおれのもの」というジャイアニズムを発揮し、ベトナムを搾取しまくります(主に稲作、炭鉱など)
そうなると、やっぱり 独立運動が盛んになっていきますよね。
実際、日本の明治政府に独立の支援を申し立てをした人が出てきますが、この頃の日本の国力ではフランスみたいな先進国を敵に回せない訳ですから、強めにお断りしてしまいました。
ホー・チ・ミンさん、共産主義にかぶれる
そんなフランスからの搾取に苛立っていた青年、ホー・チ・ミン君は世界を見てみたいなぁと思いつき、見習いコックとしてフランスの船に乗ります。
すったもんだありますが、アフリカ、アメリカイギリスなど世界を周遊して、またフランスにとんぼ返り。
コックとして船に乗ったんだから、各国の料理の研究でもしていればよかったのに、ロシア革命に衝撃を受けたホー君は、しっかり パリで共産主義にかぶれてしまいました。